社会人として私が何よりも心がけとして一番大切だと考えているのが「教養と節度」。
これだけだと何とも抽象的な言葉だけれども、別の言い方をすれば「人との関わり合いの中で自分自身を相手の立場に置き換えて物事を推し量れる能力と振る舞い」みたいな感じになるのかな。
けれども、世の中にはこれと真逆の価値観を、むしろ当然のように押し通してくる輩も結構いたりして、そういう人を目の当たりにするだけでものすごく気分が悪くなってしまう。
偶然この記事にたどり着いた読者の中には同じような経験をしたり、心当たりがあるという人も案外いたりしてね。
人から何か改めるように指摘されても、素直に自らの振る舞いを省みるのではなくて、すぐ「法律に違反してないから文句言われる筋合いなんてない」みたいなことを得意げに主張するエセ教養人・・・いたりしませんか。
私が普段の生活で常々問題視している小悪・性悪の代表格が「タダ乗り」「悪ノリ」「強者の理」で、ゴロの良さからも口癖のようになってしまっているけれど、これを個人的に伝統的三大悪癖と言って忌み嫌っている。
法律を根拠に自己正当化して畳み掛けてくるエセ教養人は大概にしてこの3つを自覚しようとすらしないので端から話になりません。
どれも言語化するのが難しいけれど、確かに古くから長く存在していて、根深い問題の背景には必ずと言ってもいい程この3つのどれか、もしかすると3つとも関わっていたりする。
X(Twitter)でたまたまこんな投稿を見つけたけど、この投稿で紹介された画像のポスターが言わんとしていることも根は一緒だとな感じて、思わず背筋が寒くなってしまった。
この広告は良くない気がするなー… pic.twitter.com/GNQxT6jy6M
— まゆ|底辺介護士 (@kaigo_dorei) December 1, 2023
これは誰の目線で言っているのか、もはや説明なんか一つも要らないと思う。ここで考えたいのは、たまたま介護士の女性がこのポスターを見たらどう感じるだろうか、というコト。
直感的に「うぅ、これは如何なものか」と感じた人は、すごく柔軟な視点の持ち主だろうと思う。逆に「これの何が問題なの?」という人は、もしかしたら想像力が全く働かない思考停止の状態に陥っているかもしれない。
「娘」と「介護士」が色付きで強調されていることから、親目線では自分の娘が介護士の専門知識を持っていることをアドバンテージと捉えていることはわかる。
けれど、その娘の立場になって考えたら、別に親のために介護士という職業に就いたとは限らないでしょ?と反論したくなるのですよ。
それにね、この写真の娘の立ち位置を見ると、まさに親だから逆らい難いという「無言の圧」も感じてしまう。
投稿主さんがコメントしているように、「この広告は良くない気がするな」という意見には完全同意です。
私はこういうポスターのように一方の利益しか考えない搾取の構図を「タダ乗り悪ノリ強者の理」に通じる凡庸の悪だと思っているんです。
職場でもありがちの話です。
例えば、機械音痴の人しかいない職場でただ一人、パソコンに精通する人がいたとします。
普段のパソコン操作でわからないことがあっても親切に教えてくれるとなれば、とても重宝されると思います。
でもね、よく考えて欲しいのです。
パソコンに精通しているからといって、その技能は本来の職務とは関係のない職場の機械音痴を相手にIT介護をするためのスキルではないでしょう。
職場はもっぱら、わがままに耳を貸してくれる人材の厚意に便乗して負担を押し付けているだけですよ。
そういう特別なスキルを持つ人材に対して、それに見合うだけの特別な報酬を加算してあげている事業主はどれほどいるのでしょうかね。
設備更新のためにパソコンの入れ替えや設定作業をするとなると、大体はパソコンに詳しい人材に丸投げということも珍しくない。
外部の業者に頼めば、それなりのコストがかかることくらいは分かるでしょうに。たとえ、そういう認識があっても相場の半分すら手当しないで涼しい顔をしている事業者を私はたくさん知っています。
当然のことながら、給料を貰っている従業員の方からは断りづらいし、ましてや特別手当を求めるなんて出来ないことくらいは推して知るべし。
他人より特別なスキルを持っている人は、その分野の研鑽に時間とお金を費やしてきた人たちばかりなのだから、本来なら成果に見合った報酬を与えるのが筋なのだけど、そうはならない。
世の中には、長い年月の蓄積があって成り立っている事柄には意識を向けようとせず、目先の果実ばかり欲しがる人が大勢いる。
それが現実です。
なので結局、特技という付加価値は強者の都合で単なる利用価値にすり替えられて、本来得られたはずの利益は侵害され、最悪は時間と労力を無償で提供しただけとなってしまうことがある。
職場に限らず家族関係や友人関係でもよくあること。
結婚式を挙げることになったんで、ウェルカムボードを作って欲しい。あなたデザイナーだから、そういうの作るの得意でしょ。
かわいいキャラクターの絵で年賀状を出したい。あなたイラストレーターだから、そういう絵を描くの得意でしょ。
世間を見渡すと、こんなやり取りは枚挙にいとまがない。
少ないなりにも報酬を出すという条件で依頼しているのならまだ良識的なのだけど、そもそもお願いする相手が職業として請け負っているような事柄に対して同等品質のモノやサービスを求めているのなら、それに見合うだけのきちっとした対価を支払うのが当然だと思う。
自分が長い時間をかけて積み上げてきた技能やスキルに頼られるのは誰だって嬉しい。
けれど、期待に応えるために費やした時間と成果を安く買い叩かれることなんて誰も望んでいない。
そんな当たり前なことも理解せずに、法律に違反していなければ許される、なんて考えるのは浅はかだ。
私は契約書類や業務マニュアルなどのフォーマルな文書を作成することが多いという仕事柄、推薦入学や就職活動に向けた自己紹介文などの添削をお願いされたりする機会がたまにある。
「ご予算は?」と問いかけると、一様に「えっ?」という反応を返してくる。
まさか、お金取るの?とでも言いたげな顔なのだ。
作家みたいに書くことを生業としているわけではないから不躾と思われるかもしれないけれど、普段から色々と世話になっている相手でもない限り、わざわざ貴重な時間を振り向けて無償奉仕する義理もない。
身内ならまだしも、人伝の紹介で知っただけの関係を、まるで特別優遇される権利か何かと履き違えている人すらいる。
とりあえず無償は今回だけ、とでも釘を刺しておかなければ、そのうち「タダ乗り」「悪ノリ」「強者の理」と悪質性が増していくので、安請け合いは禁物なのだ。
最低限、お互いに相手の立場や面子を尊重し合う気持ちさえあれば、いちいち「教養と節度」などという畏まったことを意識しなくても自然にギブ・アンド・テイクの精神であらかた丸く収まる話なのだけどね。
ところが「タダ乗り悪ノリ強者の理」というのは無自覚に加担している人が多い上に、たとえそのつもりや悪意がなくても、良好な人間関係によって保たれている秩序をかき乱すだけの害悪でしかないのですよ。
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